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久しく慈しむ「久慈町」

久慈町の歴史にふれてみてください。

「久慈」という地名は、1200年余りも前から残っている地名のひとつであり、日立市内では「久慈」と「助川」だけとなっている現在、とても歴史のある地名となり、地域の方々から愛され続けています。「久しく情け深い、永遠の慈愛」ともとれるこの地名、縁起のいい、よい地名であります。

(参考文献:ひたち史余話 瀬谷義彦著 昭和61年11月3日発行)

 

昭和初期の久慈漁港

久慈八景

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久慈町の歴史を辿る

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離山は久慈城跡地

久慈町の街中の坂を上がると、高台に久慈小学校があります。ここから南の眺望を、すこし右の方に目を向けると、こんもりとした山が見えてきます。ここを「離山」と呼んでいます。この離山、水戸黄門で有名な、かつての水戸藩第2代藩主・天下の副将軍水戸光圀公が久慈浜をよく訪れ、すこぶるお気に入りであったらしく、ここに別邸を建てようと考えていたらしいと言い伝えられてきています。ここは太平洋を眼下に久慈と茂宮の流れを外堀に外壁を遮断するといった自然の要塞に守られた「常陸の国・久慈城」の跡でもあるのです。(令和6年3月11日発行 日立港湾振興協会「風だより」29号から引用)

 

 

久慈中校歌の作曲者は超有名人

近衛秀麿をご存じですか?

世界的に有名な音楽家であり、久慈中学校校歌の作曲者でもあります。

テレビ番組で世界的な大指揮者の小澤征爾氏が、こんなことを語っていました。「私は世界中のオーケストラを指揮しているが、ヨーロッパのどんな地方都市へ出かけても、『あなたが二人目の日本人だ』と言われてしまう……」。その一人目の指揮者こそ久慈中学校の校歌を作曲した近衞秀麿です。

クラシック界では「おやかた」と称された人物で、世界最高とされる交響楽団ベルリンフィルで日本人として最初に指揮をしたり、現在のNHK交響楽団の前身である日本交響楽協会を立ち上げて日本の音楽界のレベルアップに貢献したことで「日本のオーケストラの父」として知られています。世界中で90以上ものオーケストラを指揮した実績があるそうです。オリンピックや公式の式典で演奏される「君が代」はこの方の編曲したものです。

最近になってヨーロッパで活動していた折、ナチスに迫害されていた多くのユダヤ人音楽家の逃亡を命がけで助けたことが知られるようになり「戦火のマエストロ」と称されるようになっています。

久慈中の校歌は、同窓会でも全員で合唱できる親しみやすく力強いメロディーの曲ですが、このように世界的な大音楽家によって作られた作品です。奇跡的とも言える校歌があるのは、久慈中学校の開校に関わった多くの人が生徒が誇れる校歌にしようとして奮闘した結果と考えられます。地域の誇りである素晴らしい校歌には、歌い継いできた多くの人の思いが詰まっているように思います。(久慈コム99号より引用 令和5年3月5日発行)

 

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